殷鑠
魯迅,這座中國近代史上的豐碑,是所有文人墨客樂于評論的對象。誰都可以說,但又少有人說得好。魯迅先生本人就是一個跨越了時代的天才。有人說魯迅的高度源于他所處的時代主題——救亡,但殊不知他的文學天賦早已經超越東西方或現當代之別,實在不是當代人包括諾貝爾獎評委所能完全領悟的。因此我總以為,以藝術表現魯迅形象的創作行為,本身就是需要極大勇氣的。
魯迅已經離開我們86年了,而救亡的時代主題也似乎發生了變化。果真如此嗎?若論及中國人在當代文學藝術方面的“成就”,恐怕離“敗亡”也不算太遠。當代產生不了魯迅先生,卻永遠需要魯迅的思想、魯迅的錚錚風骨。李平的近作《千面魯迅》,完全不去顧及喋喋不休的藝術上的爭論,只希望喚醒和重塑魯迅的精神,在渾噩的時代中發出自己的吶喊。
包含成幾百上千張魯迅頭像的《千面魯迅》,僅巨大的工作量就使人驚嘆,非常人所能為之。何以為之?一則是李平熟悉各種繪畫材料,國畫、油畫、潑墨、綜合材料等駕輕就熟,早年就是藝壇高手。二來李平的創作狀態向來瘋瘋癲癲,肆意妄為。藝高人膽大,而李平屬于先膽大再藝高的江湖奇人。再者,李平的心走近魯迅,混淆了角色原型的界限,受魯迅文字的靈魂拷問,因此筆耕不輟,不敢怠慢。
《千面魯迅》既非油畫、國畫、水彩或版畫等形式的變化;也不單單是線條、渲染、拼貼等技法的運用。其作品卻包含了水墨、書法、潑墨、雕刻等諸多元素。李平使盡渾身解數,硬是把林林總總的東西集結起來,再把它們“亂弄一氣”,反而水到渠成,弄出來一番大氣象。他以水墨為魯迅造像,卻用觀念為他鑄魂。什么叫做靈魂與膽魄,什么叫做前所未有,全都附著于一張張抽象的魯迅頭像之上,入木三分。
魯迅“沒有把黃金時代預約給人類,卻以燃燒般的生命,成為千千萬萬追隨者的精神火花”。我們驚喜地看到,當今還有李平這樣的藝術家,被魯迅的精神點燃自己,并肆意的蔓延開去。
李平作品欣賞
圖1,2022年,《第18屆日中水墨協會展暨國際藝術家展yokohama2022》金獎。
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圖10
畫家李平近影
李平簡歷
當代藝術家,中國美術家協會會員,北京大學藝術學院客座教授,中央美院綜合材料藝術工作室外聘教授,國際當代藝術家聯合會水墨寫意人物研究院院長。
作品多次參加國內外當代藝術大展并多次獲大獎。
2022年,《第18屆日中水墨協會展暨國際藝術家展yokohama2022》金獎。
*****日文*****
李平略歴
現代蕓術家、中國美術家協會會員、北京大學蕓術學院客員教授、中央美院総合材料蕓術研究室招聘教授、國際現代蕓術家連合會水墨寫意人物研究院院長。
作品は國內外の現代蕓術展に複數回參加し、大賞を多數受賞した。
「第18回日中水墨協會展?國際蕓術家展yokohama2022」金賞。
魯迅の精神を現代社會にも輝かせる
―中國の著名な現代畫家李平を評す
殷鑠
魯迅は中國近代史上のマイルストーンとして、多くの文人墨客がよく評論する人物であるが、的確に言える人は少ない。魯迅は時代を超える天才である。魯迅の功績の高さは彼が置かれている時代のテーマである「救亡」に由來すると言われるが、実は彼の文學の天賦の才能は東洋、西洋あるいは近代、現代の枠を超えたため、ノーベル文學賞審査員を含めてわれわれ現代人が完全に理解できるものではない。だから私はいつも、魯迅を蕓術で表現することには莫大な勇気が必要だと思う。
魯迅が亡くなってすでに86年経っている。「救亡」という時代のテーマも変わったようだが、果たして本當なのか?現代文學と蕓術における中國人の「成果」を論じるなら、むしろ「敗亡」に近い。現代社會に「魯迅」は二度と生まれないが、魯迅の思想および魯迅の錚々たる風骨が今でも必要だろう。李平氏の近作「千面魯迅」は、蕓術界の喧噪な論爭を全く顧みず、魯迅の精神のみを再構築して目覚めさせ、混沌する時代の中で彼自身の「叫び」を発したと思う。
何百枚も千枚近い魯迅の肖像畫「千面魯迅」の創作は、その巨大な仕事量だけで人を驚嘆させ、それは一般の人ではなかなかできないことだ。では、どうやってできたのだろう?まず、李平氏は各種の絵畫材料を熟知しており、中國畫、油絵、撥墨、総合材料などの運用に長けており、若い頃から蕓術界の達人だった。そして李平氏の創作は昔から狂気に満ちていて、トランス狀態で無我夢中のスタイルをとってきた。高い技があれば度胸が大きいと言う諺があるが。李平氏は先に度胸が大きく、そのうえさらに蕓が高い。彼は蕓術界の奇人である。また李平氏の心は魯迅に近づき、役の原型の限界を曖昧にさせ、魯迅の文學で自らの魂を焼き入れたため、彼は描き続けて怠ることはしなかった。
「千面魯迅」は油絵、國畫、水彩、版畫などの形式の変化ではない。そして、線、暈しと滲み、コラージュなどの技法の運用でも留めていない。その作品には水墨、書、撥墨、彫刻など多くの要素が含まれている。李平は渾身の力を盡くして、そうそうたるものを集結させ、それらを「めちゃくちゃに」したからこそ、雄大な勢いを作り出した。彼は水墨で魯迅の肖像を描きだし、観念を用いて魂を注入した。霊魂とはなにか?前例のないものとはなにか?それらをすべて抽象的な魯迅のアイコンに付け込み、入木三分の境地に達したのである。
魯迅は黃金時代を人類に寄與しなかったが、燃えるような命で無數の追隨者の精神的な火花となった。私たちは、今も李平氏のような蕓術家が魯迅の精神に自分を燃やされて、そして恣意的に広がっていくのを見た。それは喜んで驚嘆に値するだろう。